自殺とパラレルワールド
私は、自殺とパラレルワールドには関係があると思っています。
どういう関係かといえば、「パラレルワールド」の図 -その2- の考え方を支持していると言うことが前提なのですが、"可能性の未来" への分岐を自分自身で消していき、最終的に分岐が全くない状態になるところから自殺をするしか手段が無くなってしまうのではないかと考えています。
もちろん、分岐がなくなっても1本だけは残るわけで、自殺などを強く意識しないで生きている場合には、例えそんな状態になってもすぐに分岐が増えるわけです。
しかし、自殺を強く意識している場合には、分岐がなくなるとそれしか行ないようが無いというわけです。
あるいは、分岐の全てを自殺にしてしまっている場合も同じ結果でしょう。
話は変わりますが、以下の話に類似する話を聞いたことは無いでしょうか?
ある人が勤めていた会社がバブル崩壊で潰れ、とにかく家族を養わないといけないと思い、慣れない営業職に入ったが、いつも失敗ばかりで上司からも先輩・同僚からも叱責や嘲笑の毎日。
もう自殺してしまおうと思って、一旦いつも通りに外回りから帰社。
そこでまた上司からの叱責。「お前なんか役に立たないクズだ、死んでしまえ」
いつもなら落ち込んでしまうところだが、その日は何故か違った。
心の中で強く悪態をついた。
悪態は、あくまで心の中でのことだったが、さっきまで死ぬつもりでいたのに、そのお陰でむしろ生きる力が湧いてきた。
というお話です。
どうでしょう? 皆さんは、これに類似するお話を聞いたことはありませんか?
暴力も暴言も、肯定するつもりはありません。この時はたまたま良い方向に流れただけで、これで鬱になったり、それこそ自殺したりといった悪い方向に行くことがほとんどだからです。
ただ、なぜ良い方向に流れることが、ごくごく、ごく稀(まれ)にあるかと言うと、パラレルワールドの分岐を増やしたからではないかと思うのです。
もともと、強い力を持っていた人が、有無を言わせぬ現実(いつも失敗ばかり)と周りからの叱責・嘲笑によって、抑(おさ)え込まれていた。
抑え込まれていた力が、たまたま爆発した。
その爆発で、パラレルワールドの分岐、それも良い方向への分岐が出来ていったという考え方です。
この考えが正しいかどうかはともかく、このことから言える正しい現実があります。
それは、人に良い働きかけをすることは、必ず誰かを救うことになるということです。
悪い働きかけで、たまたま良い方向に向くことを期待してはいけません。
良い働きかけで、良い方向へ向くことを期待してください。
そして、良い分岐をたくさん作ってあげてください。
そうすれば、きっと、相手の方か或いは思いもしなかった誰かを救うことができると感じております。
人間嫌いの私が言うのはおかしいでしょうが、人間嫌いだからこそ、分かることもあるのです。